殺人の追憶|考察と感想!ファソン連続殺人事件の犯人は実際どうなった?

韓国で2003年に映画化されたソン・ガンホさん主演の『殺人の追憶』は、1986年に実際の韓国で起きた事件をモデルに製作されました。

監督は2000年に『ほえる犬は噛まない』で、第19回ミュンヘン国際映画祭新人監督賞などを受賞したボン・ジュノ監督です。

ボン・ジュノ監督はその後も、多くの賞を受賞して、最近では2019年の『パラサイト 半地下の家族』(2020年1月、日本公開)で第72回カンヌ国際映画祭パルム・ドールも受賞しています。

そこで、ここではボン・ジュノ監督の2作目となる『殺人の追憶』についての考察と感想、華城(ファソン)連続殺人事件の犯人のその後についてご紹介します。

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『殺人の追憶』はこんな映画だ!

受賞した主な賞

サンセバスティアン国際映画祭国際映画批評家賞・新人監督賞・FIPRESCT賞国際映画製作者連盟(FIAPF)のAカテゴリーの国際映画祭で9月にスペインで開催される
第24回清龍映画賞最多観客賞毎年12月に行われる韓国最大の映画の祭典
第40回大鐘賞作品賞・監督賞清龍映画賞とともに韓国の権威ある映画賞
第16回東京国際映画祭アジア映画賞国際映画製作者連盟(FIAPF)のAカテゴリーの国際映画祭で10月に東京で開催される

他にもたくさんの賞を受賞していますが、韓国で大きな賞を2つ受賞していることから、韓国で注目を浴びた映画だったことが分かります。

観客動員数は525万人で2013年まで韓国歴代1位であった。

予告動画をご紹介

予告動画はこちら、韓国映画独特の雰囲気が伝わってきます。

華城殺人事件当時の韓国の世相はきな臭い

当時の政権はチョン・ドゥファン大統領でしたが、当時の韓国の政権構想は激化していて、チョン・ドゥファン大統領もクーデターにより、前政権を崩壊させ、政治の主権を握った大統領である。

しかし、チョン・ドゥファン自身も粛軍クーデター光州事件等により、退任後に死刑判決を受けています。(高裁で無期懲役に減刑され、後に特赦)。

当時の韓国は、1987年に起きた大韓航空機爆破事件など、国家が安定する前の状況でした。

そのような世相の中で起きたのが、農村で起きた『華城連続殺人事件』でした。

こんな映画だ!

農村の水路で、女性の遺体が発見され、その後も殺害が続きます。

当時の韓国警察も時には証拠の捏造や強引な聴取による自供が横行していました。

そんな中、パク刑事とチョ刑事はグァンホを犯人だと決めつけ、強引に自供させますが、パク刑事は犯人はグァンホではないと感じる。

あとでわかるのですが、グァンホは犯行の目撃者でした。

グァンホはあまりの強烈な事情聴取に耐えきれず、自分がやったこととして自供していた。

グァンホは釈放されますがその後、線路に入り自殺します

唯一の手掛かりだったグァンホが死んだことで事件は迷走します。

次に容疑者として登場するのがヒョンギュですが、状況証拠はあるが、物的証拠が揃わない

パク刑事がヒョンギュを追い詰めますが、最後の切り札としていた犯人が残した精液のDNA鑑定がヒョンギュのDNAと不一致であったことから犯人を捕まえられずに物語は終わります。

何とも煮え切らない終わりとなりますが、実際の華城連続殺人事件も未解決であった。

実際の華城連続殺人事件はどうなったのか

この映画を作ったボン・ジュノ監督の話し


この映画は実際に起きた事件をモデルにしているので、映画を作成したボン・ジュノ監督も真相を知りません。

ではなぜ、この映画を作ったのかというと、今も逃亡をしている犯人に警告するためだと監督は話します。

ボン・ジュノ監督の大胆な考えが凄いですよね!

33年後の真実

1994年1月、ある男が義妹を強姦殺害して捕まりました。

そして、33年経った今、京畿南武警察庁死刑囚となっている、その男が、この華城連続事件の犯人だと判明した。

その男は現在56才

その男は模範死刑囚だったこともあり、減刑され仮釈放される可能性もありましたが、それは避けることが出来た。

というのも、別の犯罪者によると、殺人は止められない、必ず繰り返されるとのこと。

おぞましい、話です

考察と感想

実際に起きた未解決事件を題材としたこの映画は、世の背景を映し出した、見る人に訴えかける映画でした。

1人の犯人が10人も殺し、犯人が見つからないという恐怖は日本ではあり得ないでしょう。

しかし、よく考えてみると1986年頃に日本では何が起きていたのか?

韓国との接点で考えるなら先にも述べたように大韓航空機爆破事件となるでしょうか。

金賢姫元死刑囚の事をふと思い出しました。

関西に住んでいる人なら阪神タイガースが日本一となって、大騒ぎしていたのも1985年でこの頃ですね。

関西に住む私は道頓堀に飛び込んではませんが、当時の事は鮮明に覚えています。

そろそろ、もう一度、日本一になってくれ~。

すみません、話を戻します(汗)。

映画の中で最後の切り札だったDNA鑑定は実は韓国では調べることが出来なく、アメリカに依頼していたんですね。

これも驚きの時代背景です。

警察内部も信用できない背景も拭いきれない。

DNA鑑定も正しかったのか・・・。

隣の国なのに、住む世界が全く違ったことを感じた映画でした。

救いなのは、実際に連続殺人が止まったことですね。

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まとめ

映画一本、見ただけでいろんなことを考えてしまいましたね。

それほど、インパクトがある映画『殺人の追憶』

当時、低迷していた韓国映画の復活の兆しが感じられた映画でした。

見る価値は十分にありますね

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